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毒親と子のお話。

脱出したくて考えてきたことのまとめ。

どうせ私は。

前回の比べられる話。

 

妹のことはあまり思い出したくないんだけど。

 

なぜなら妹にとって私は「良いお姉ちゃん」でしかないので。なぜ私が妹を嫌うかの理由も妹にとって意味不明だと思うし。そしてそれがわりと、妹も妹で大変だっただろうけど「嫌うしかない」というところに落ち着く為、もし妹の知ることになれば、「仕方なく離れただけで、私は嫌われてなかった」とお花畑になることが予想できるから。

 

 

比べられることで先にダメージがいったのは妹の方だと思う。

私の場合、貧しい国の子どもとか、ニュースで見た誰かとか、比較対象はわりと外側にあったけど、妹は姉である私が比較対象だったから。

「いい子しなければならない」「お姉ちゃんだから」と洗脳的にいい子していた私は「できるお姉ちゃん」だった。

親はなんでも「お姉ちゃんに聞きなさい」だったし、「お姉ちゃんにやってもらいなさい」だった。

親はすぐ泣く妹をめんどくさがっていたので(妹が泣くと周囲(旦那、親)から怒られるから)私に押し付けていた。

私は妹をかまわないと親に怒られるので私の時間は削られていった。

妹は頼めばなんでもやってくれるお姉ちゃんに物事をぶん投げて空いた時間を自分のために使った。

 

くそが!!!

がんばれ私、今回は妹の話を書くんだ!

 

妹は自分で調べることができない。姉が答えを教えてくれるから。

実験もしないから失敗もない。姉が下調べをして失敗しない手順で教えるから。もしくは姉が手を出してしまうから。

親は「お姉ちゃんが教えてくれてよかったね」「お姉ちゃんがいてよかったね」「いいお姉ちゃんでよかったね」と言う。

妹が失敗しても「お姉ちゃんがちゃんと見てないから!」と私が怒られたり(くそが!)、妹が悪い喧嘩でも私が怒られたり(くそが!)、とにかく妹が泣いたら妹の勝ちだし(くそが!)

そして、妹は、

「お姉ちゃんはすごいけど私はだめな子」「私は何をしても怒られないどころか許される」というトンデモ思考になった。

 

妹に直接聞いてないから全て想像でしかないです。

病弱?仮病?学校休みがちだった理由は嘘か本当かわからない。夜尿症は本当。

 

「お姉ちゃん」ができる子なのは当たり前なんです。妹より数年先に産まれただけなんだけど。

私は物知りだったのは(当時)、親が「この辞典にききなさいね」と教えることを放棄したため。自分で調べる能力はついた。妹は私から答えだけを拐っていった。途中式がわからないから応用力がない。

成績はかなり悪かったらしい。

上辺だけ良いのは私と同じ。

正義感はない。妹は矢面に立つことがないので後ろで遊んでれば姉が守ってくれたから。

 

妹は「自分は駄目な子」と思いながら姉をライバル視して、

姉は「妹をかまうと親から誉められる」ので自分を削っても妹のために頑張るようになった。

 

今回は妹の話(←自分に言い聞かせてる)

 

すぐ近くの比較対象が邪魔で邪魔でしかたない。

親にかまってもらいたいのに、親は姉に丸投げするし。姉を困らせることをしても姉が怒られるし。

だんだん姉から避けられるようになって。親はかまってくれるけど、「具合悪い」→「休みなさい」の一本道で、原因とか探ってくれない。

大人になってから満たされない病が爆発していろいろ公共機関巻き込んでやらかして絶賛基地害中。

 

私には矛盾だらけだが法律があった。

しかし妹には不安定な私が手本だった。

無理だ。

 

兄弟がいると愛玩子と搾取子になるって話もあるけどうちはそうじゃないみたいだな。

 

 

 

うさぎとかめの話を姉妹でやるとこうなる。

姉ウサギ、妹カメ。

 

・妹視点。

勝負なんて最初から見えてる。年齢差もあるけど能力差もある。

親「お姉ちゃんにはハンディつけようね」

姉が勝った時点で終わるから適当に歩こうと思ってたのに。姉もそんな提案受け入れてんじゃねーよ。

ほらさっさと行けよ。

かったるい。「がんばれー」じゃねえんだよ。最初から無理だろ。そしてもう無理だろ。

「がんばれば追い付く」じゃねーんだよ。姉もなんでそんなとこで寝てんだよ。余裕ぶっこいてんじゃねーよ。

めんどくせー、めんどくせー。帰って寝たい。

ゴール寸前で姉起きて猛ダッシュ?狸寝入りだろが。

「どっちが勝つかなー!?まだわかんないなー!二人ともがんばれ!」

うぜえ。

結果的には勝ったけど納得いかない。

ハンディあったし途中で姉は寝てたし納得いかない。どうせ駄目な子ですから。

 

・姉視点。

ハンディ?仕方ないよね、お姉ちゃんだもん。

お姉ちゃんだから速いよ!私速いでしょ!

えっ、途中で寝ろ?激戦のない勝負なんてつまらない?はあ、わかりましたよ、寝ますよ。

妹に勝たせろ?勝負ってなんだっけ?勝つと私が怒られるんでしょ。はいはい。

よかったでちゅねー、妹ちゃんの勝ちでちゅよー。

無駄な競争してバカじゃねーの。

これを私の全力だって思うのもやめてよね!

 

 

なにもおもしろくない。

親は満足してるけど。

親は満足を押し付けて「姉妹仲良くしてた!」としか記憶にない。

 

 

眼に見える比較対象も迷惑って話でした。

 

 

 

 

 

 

 

よりも、

比べる癖がついてる。

比べられてきたからだと思う。

よくわからないところと。

「アフ○カの人は食べたくても食べられないんだからね!あんたは恵まれてるの!残さず食べなさい!」

味や盛り付け量という親のやったこと(自分の責任にされること)から眼を背けさせる作戦。そして私が事実を確認できない外国のことを持ち出す。「恵まれてる」というのは、「私のすばらしい料理が食べられて幸せでしょう!」という意味であって、我が国がアフ○カより恵まれてる(?)という意味ではない。

私は「アフ○カって大変なんだな」「私は恵まれてるんだ」と思った。

あまりにも言われるから、食べられない子供が可哀想で「アフ○カに持っていってあげて」と言ったら「そんなの関係ないから食べなさい!」だって。関係ないのかよ!

幸い、うちの親の料理はマトモだった。しかし量が多い。「足りない」文句防止と、自分が食べるために多く作ってたぽい?

(自分が食べられずとも旦那や子供に食べさせるものと思い込んでいたフシはある。それとも何事も多ければ良い理論?)

まずいものはまずい、多いものは多い。我慢してまで食べるのは恵まれてることなのか?

 

比べられると「あんたは恵まれてるんだから文句言うんじゃない」に聞こえる。と気づいたのは大きくなってからだけど。

親が「うちの子は○○より○○(だから、大丈夫)」って自分に言い聞かせてたみたい。子を心配してるんじゃなくて、自分の所持品の心配してるだけ。

子を見れば親が知れるとか、親の顔が見たいとかをものすごく恐れてたみたい。

 

比べるものは場面によってころころ変わる。子を言いくるめられればいいだけだから適当なことを言う。

風邪をひく→「バカは風邪ひかないからお前はバカじゃない」

隣が学級閉鎖→「お前はバカだから風邪ひかない」

どっちだよ?

矛盾を感じても「私を安心させるために言ったんだな」と納得していたお花畑のお子様だった。

 

親が何かと比べるときは「親が不安な時」なんだなと今は思う。

(ここに子どもは出てこない←ポイント)

 

 

 

そして私は、親が関係ない場面で混乱した。

・判断が親基準

言われたことを覚えていてそのまま言う。

しかもそれが一般的だと思ってるから自信たっぷりに言う。

ダブルスタンダードに気づかない。

→周囲から「妙な正義感あるけど言うことが矛盾しまくり」と思われる

(離れていった人達をクズだと思っていたけど、矛盾バカから離れただけなんだよね)

・相手から説得されやすい

もっともらしい理由がついたら納得してしまう。

「アフ○カ」は貧しいでしょ?→うん→私たちは恵まれてるよね→うん→だから幸せなんだよ→うん

という段階的な話にはかなり弱い。

(絵画買わされそうになったことがある)

・相手と比べようとする

周囲の全員をライバルとして敵視。ものすごく疲れる。嫉妬に溢れていた。

 

 

 

今日は書くことにまとまりがないな。

あと、アフ○カのみなさんごめんなさい。

 

 

 

親も親で大変なんだろうけど。

私にとっては見上げる対象が親しか居ないのだから。

一貫性ってとても大事。

子どもだからわからないと思って適当なこと言わないで。子どもだからと思って言ってたことならば後から言葉を付け足してほしかった。

(包丁は危険→包丁は「まだ子どもだから」危険)

 

 

今日は、

比べられるのが当たり前だった子どもは、比べるのが当たり前になってるんじゃないか?

という話を書きたかったんだ。

 

嫉妬は時として原動力になりうるが、嫉妬しまくりじゃ疲れる。

 

事柄のトリミング

 

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「ナイフを持ってる人から追いかけられる人」なのに一部だけ切り出すとまるで逆転しているかのように見える絵がある(と書いてから拾ってきたのでそのままはりつける)

 

 相手が私を叩いたので私がやり返した。

これの後半だけ切り出されるとまるで私が悪いかのようだ。

 

「私が買ってきたものを喜ばない」

と親は言うけれど。

「私がせっかくお前のことを考えて買ってきたものを喜ばない」

と親は言うけれど。

 

 

「スーパー行くけど、買ってきてほしいものある?」

私のリクエストも好みも覚えてないんだから「別にないよ」と断る。

「でもなにかあるでしょ」と食い下がってくるので仕方なく「3連プリン」をリクエストする。

特売となっているけどいつもこの値段の親が買ってくるいつものプリン。これなら親も間違えることはないだろうと。

しかし親が買ってきたのは「オレンジの3連ゼリー」。

「はい、頼まれたもの」と私の前に置きながら言う親は一仕事やり終えたドヤ顔。

内心「またか…」と思いながら、

「ナニコレ?私が頼んだのはプリンだよ。ゼリーじゃないよ」

そして始まる毒親との口論。

「せっかく買ってきてあげたのに!!!!」

断ったのに「買ってきてあげる」「いつものプリンだよね」と言ったにもかかわらず覚えてない。やっぱり。

私がオレンジ苦手なのも覚えてない。

いつものプリンは売ってなかったのかと聞けば、

「売っていたけど」という。値段も同じだったという。

じゃあなぜオレンジ3連ゼリーなのかと聞けば、

「プリンは甘いから体に悪い」

あなたがいつも買ってくるのはこのプリンですよね?体に悪いものをいつも買ってらっしゃったのですか?

 ついでに「ゼリーの方がいいとおもった」とも。

リクエストを勝手に捻じ曲げてんじゃねーよ!

「あんたのためを思ってゼリーにした」

思ってくれてるならせめてオレンジ苦手なのを覚えておいてください。

「あんたのリクエストはむずかしくてわからない」

だからお前がいつも買ってきてるものを頼んだじゃねーか!

「あんたのリクエストで買ってきたんだからお金払って。」

プリンなら払うけど?

「他の家族はこんなゼリー誰も食べない」

プリンなら食うんでしょうけどね。

 

こちら側:

食い下がられて仕方なく頼んだものと違うものを買ってこられて代金まで請求された。

毒親側:

せっかく買ってきてあげたのに喜ばないしありがとうも言わない。文句をつける。

 

「私がせっかく買ってきたのに文句言うんですよ、この子」

と周囲に愚痴る。

そしてなぜか私が「スーパー行くならついでに買ってきてほしい」と頼み、「3連オレンジゼリー」をリクエストしたことになっている!

 

これを繰り返されて私は「親が子を思ってしてあげたことに文句を言う娘」になってしまった。

「好みがうるさい」「感謝がない」もおまけで。

食べ物も服も毎度こんな感じなんだもの。

周囲は「あなたのためを思ってお母さんが買ってくれたんでしょ」とふざけたことを言ってくるし。

 

自分でプリンを買ったとしても冷蔵庫保管になるわけで、そうすると家族が食べてしまうし。

「名前を書いておきなさい」と言われて書いても妹に食べられて、抗議すると「冷蔵庫に入っているものはみんなのもの」とか言い出すし。

明らかに妹が買って妹の名前が書いてあるコレを食べても怒らないんですね?と思えば、「それは妹のでしょ!!」って怒るし。

(親は妹が泣くのが怖かったので私を押さえつけていたんだけど、そんなこと子には関係ないんです)

 

「買ってきてあげる」の時点でどこまでも折れなければよかったかもしれない。そうすると「私の買ってきたものを食べないで、体に悪いものばかり食べる」と言う。

 

親は、

自分が(その時の気分で)良いと思ったもので私に喜んでほしい→喜んで当然!

らしいよ。

 

プリン程度なら自分でも買えるけど、服は買えなかったからつらかったな。

 

服屋に行くのがイヤだった。

プリンとは違って服は試着しなきゃいけないので私を連れていく。

試着は言い訳にすぎず、「私が選んだ服を買ってあげる」が正解。

最初は私が選んだ服を「あっちで試着してきなさい」と言ってくれるんだけど、

だんだんケチをつけはじめて(値段がー、サイズがー、レースがー、布がーetc)

親が選んだものを「これ着てみなさい」と言いはじめて、

「どっちがいい?」とは聞くんだけど、最初に私が選んだ方は却下されて、

「せっかくあんたのために」だの「もう服買ってやらない」だの言って、

着たくもない服を2着も買って(特売なら2つ買う。合計金額が同じになろうとも)

「わあー、ソラちゃんに似合うねー、よかったねー」なんて言いやがって

なにもよくねーよ。

そのうち私が服屋に行かなくなった。

親が買ってきた同じ(もしくは色違い)2着を受け取って着ていた。

興味なんか持ったって着れないんだからどうでもいいやになった。

 

ファミレス・・・

「どれでも好きなもの食べなさい」

(思い返して毎回思うけどこの最初の大風呂敷はなんなんだろう?)

かーらーのー(中略)

親が選んだ同じもの4つが運ばれてきて、「おいしいね」を強要されて、

そんで、親の脳内では、

「私が連れていったファミレスで家族ご満悦」

ってことになってる。

 

あ、ついでに、「連れて行った」とは「紹介した」とか「車に乗せていった」であって、「代金を全員分支払った」ではないので勘違いしないように。

 

自分が悲劇のヒロインになるような事実のねじまげとトリミングを息をするようにしてくれるのです。

 

「あなたのためを思ってしてきた」

いやいやいやいやいやいやいやいや

居間の明かりを消せなかったワケ

寝る時は暗い方が好きなので、寝る時は別の部屋に行って寝る。

居間の明かりはつけたまま。

 

先日、居間に布団をひいて寝ることになった時、部屋の明かりを消すのに躊躇したので、明かりを消すのが怖い理由を考えてみた。

寝る時は暗い方が好きだから、

理由は明かりを消せない方にあった。

明かりを消すと何か問題がおきるのか?

外に漏れる明かりがなくなってしまうことが問題。

 

生活サイクルを知られたくない。

誰にって、親に。

 

「いつ起きて、いつ寝ようが、いつまで寝てようが、仕事ないんだから」

「昼まで寝ててもいい」

「みんなが寝る夜中に起きていられる幸せ」

と言いながら、

「まだ寝てたの?」

「朝起きて太陽を浴びなさい」

と言う。

 

昼間起きてるとか太陽だとか、もっともらしいことを並べて、実のところ、「私が使いたい時にお前が使えないのが気に入らない」んだ。

先日書いた通り、全部気分で矛盾するからどうしようもない。

 

携帯やメールは即時に返信しなくてもいい(これもかなり苦労したけど)

明かりはけっこうどうにもならなくて。

 

明かりが消えてる=居ないor寝てる

 

どこに行こうとべつにいいんだけど(この点は詮索されなかったな)、居ないことで「何処行ってるの?(場所を知りたいんじゃなくて、なんで今家に居ないのか?という意味)」とめんどくさいんだ。

 

先日入院した時、知人に明かりを消されてしまった。

明かりがついた=私が退院している

とわかってしまうのが怖かった。

 

「寝る時には明かりを消すようにしよう」では納得できなくて。

「いつ寝てようが私の勝手じゃん!いつ起きてもいいって言ったのアンタでしょ!」と開き直るか、親が怖い(怖いというか気持ち悪いに近い怖い)のをなんとかしなければ、むずかしい。

たとえば誰かがやってきて明かりを消したとしても、私はつけてしまったと思うし。いきなりは無理。

 

普通の人から見れば、「なんで夜中も明かりをつけてるんだろう?」くらいにしか思わないこと。

少しずつ自分に言い聞かせていかないと。

消したくないわけじゃなくて、消したくても消せない状況だっただけだから。

 

 

ゴミを捨てることとか、消耗品を使い切らないこととか、

妙なひっかかりはたくさんある。

自分の意思でやってることだろうか?

責任の所存

よく言われるのが「成人したんだからいいかげんに親のせいにするのやめなよ」です。

「だから仕方ないの!大目に見て!」って言うわけじゃないので親のせいにさせておいてください。

 

因果応報っていう言葉は「因」も「果」も「応報」ってことだから、

「良いことも悪いことも自分に返ってくる」

こういう意味での「自分の責任」は理解できる。

でもね、

毒の「子の「因(悪いこと)」は子のせい、子の「果(良いこと)」は私のおかげ」

っていうのはまったく因果応報になってないわけ。

 

それどころか理不尽に責任がスライドされてくる状況

・なんで教えてくれなかった!(何をしてるかなんて知らないから教えようがないわ!)

・なんで察してくれなかった!(ry

・私が苦労しているのはお前のせいだ(!?

 

「自己責任」という言葉は因果応報な世界で使われてほしいと思う。

 

子にはどうしようもないことがあるんだ。

・毒から生まれてしまったこと

・毒に育てられてしまったこと

・毒に対抗してかばってくれる身内がいなかったこと

これすらも「自分の責任でしょ」と言ってくる人がいる。

何が「子供はね、ふさわしい親を選んで、生まれてくるの。」だ。夢見てんじゃねーぞ。選べるならマトモな普通の人間を選んでるよ。

 

・考え方の基礎を作ったのは親

・私という子供を作ったのは両親

これは「親のせい」だと言っていい。ただし言えるのはその子供だけ。

 

「いや、そうかもしれないけど、成人したら違うでしょ」

これもよく言われた。

早い段階で気づけたら普通のレールに乗るように(学校→就活→一人暮らし)物理的な脱出はできたんじゃないか?と思うこともある。

気付けるようなら成人してから苦労してない。(と思う)

毒が毒だと気づくタイミングは社会と触れたときで、小学校中学校程度では毒が「うちはうち、よそはよそ」で片付けてしまう。「あそこの家は特殊だから」って言うけど特殊なのはウチの方だ。

次のタイミングは高校大学だけど、ここで気づければまだいいと思う。ここで気づけ無い子は幼少期に洗脳されてる。

社会はマニュアルなんてない。実際マニュアルなんてない。常識という見えないルールで右往左往させられて病む。

ここでやっと気付けるくらい。

気づく頃には基盤から現状からボロボロってこと。

これでも「成人したら親のせいにできないでしょ」と言えるだろうか。

でも世間は言う。

私が不器用なのも要領悪いのも同僚とうまくコミュニケーションとれないのも、私のせい。

 

会社や同僚は私とやり取りしているのであって、私の毒親なんて知ったことではないから。

 

「親が悪いんだったらアンタの責任は親がとってくれるんですかぁ?とってくれないでしょう?w」ってこと。

どうしようもない現実。

 

それでも私は「親のせい」だと言いたい。

じゃないとやってられない。

「だから仕方ないの、大目に見て」って言ってるんじゃないんだ。

親に「だから責任とれよ、謝罪しろよ」と言うわけじゃないんだ。

(超言いたいけど)

自分の性格を受け入れてここから自分と向き合うために「親のせい」だと言うんだ。

 

言うのはこっそりとこういうブログだけね。

世間は血縁大好きだから「親をそんなふうに言うなんて」とか「それでも親なんだから」とか言うから。

 

会社や友人は私しか見ないんだから

私の親を見るのは結婚相手くらいだ(今のところ予定も相手も居ないがw)

 

私が選んで、私が決める。

因果応報な世界で自己責任したい。

行きたいところに行けるし、なりたいものになれる。

努力は少なからず因果応報なものだと思いたい。

毒親という「生き物」

私の毒はネガティブキャンペーンしてるらしいですよ。

 

自分のマイナスになる人物のことは考察しても時間の無駄なんだけどね(そんなこと考えるとストレスでしかないからやめろとよく言われる)パターンを知っているといちいち新規であたふたしなくていいので私は考えるようにしてる。

 

人間として、成人として、親として、社会人として、女として、「おかしい」…いくらでも言いようはあるけど、毒親は「毒親」っていう生き物だ。そう思う方が悩まなくて済む。

(「アイツはこういう生き物」っていうのは友達などの他人にも思うとラクになれる)

一貫性がないから「おかしい」、んじゃなくて、「一貫性がない」という特徴。

こういうのがわかってくると、「あの時は良いって言ったのに…」なんて思わなくてよくなる。「ああ、またか。こういう生き物なんだから仕方ないな」程度で終わる。

 

毒親の発言は全部「だから私を褒め称えろ」をつけると理解できた。

 

奥底は「私を認めて」だと思う。しかし餓鬼なので認めてられても満たされない。

「感謝しろ」じゃないんだよね。感謝は目に見えないから。褒める”言葉”とか、貢物とか実感につながるものじゃないとだめらしい。「感謝してる!」よりは「すごい!」の方が喜ぶイメージ。どっちも喜ぶけど。

毒に振り回されてきたから、基準が「親のおメガネ」になってて、視野が狭い。物事を”この場”でしか考えられないから毒発言の矛盾になかなか気づけなかったし、気づいても反論できずにいた(反論しても「あれはあれ、これはこれ!うるさい!」だし)

この不満を書き出しても1つ1つがけっこう小さくて、他人を納得させる材料にまではならなくて「そのくらいの親はどこにでもいる」と言われてしまう。(そして私は私が悪いのだと思いこんでいく)

1つ1つを考えてもダメだったんだ。細かいことをいっぱい抱え込んで動けなくなってた。

全部「私が神」だった。

1項目で済んだ。すっきり。

 

たとえば、

「子は親を尊敬するもの(だから親である私を褒め称えろ)」

こんな感じ。

卑怯だから最後まで言わない。あくまでも”聞いた子供が勝手に解釈して行動したんだ”と思わせる言い方をする。はっきり言う毒もいる。

尊敬できる親は尊敬できる親だから尊敬されるんだよ。毒ばっか撒き散らしてる毒が尊敬されるわけないんだよ。

 

そして、「褒め称えろ」を補助するのが

・私だけは特別枠

私だけは許される、私だけはしてもいい。他の人がやるとここぞとばかりに非難しまくる。ダブルスタンダードっていうやつだね(実際ダブルどころじゃないから矛盾という言葉が正しいか?)
「汚い手口を使って○○したけど、そうしなければ生きられなかった」

たとえば万引き、書類偽造(嘘申告)、年齢を偽って働いてたとか。

都合悪くなると「あれはあれ、これはこれ」「うちはうち、よそはよそ」って使ってくる。「普通は○○するものよ」と言ってくるくせに「よそはよそ」を使うから、やっぱり矛盾。

 

・無敵の呪文「仕方ないでしょ!」

これを言えばなんでも思い通りになると思ってる。

子に使うのはもちろんのことだけど、規定や契約内容にも使っていくからタチが悪い。

 

 

毒が怖がるもの

・自分への低評価が怖い

・自分が責任をかぶるのが怖い

毒の弱点って言えば弱点だけど、つついたところでキレるだけだから。

私ができる予防策は証拠集めだった。印鑑とか辞典とか大好き。「だってここに書いてあるでしょ!」って言い返すために。でも、どういう証拠があろうとも覆してしまう呪文「仕方ないでしょ!」が飛んでくるから予防しきれない。

 

毒=神

だと思っている世界だから、毒が知らないことは世界には含まれない。「そんなこと知らない!」で済ます。知っていても「知らない!」で済むと思ってる。

そして責任の所在を「アンタが教えてくれなかったから」と他人にスライドすることも忘れない。子だったり夫だったり店員だったり。

いいことは私のおかげ、悪いことは誰かのせい。

 

人から褒め称えられたり感謝されるにはそれなりの武器が必要だよね。

一般家庭における親の武器なんてそれほどない。昔は若さだったり女だったり(今は女から母に変化した)っていう武器があったかもしれないけど、年齢が重なると「親である」とか「子を産んだ」とかも武器にしてくる。あとは「仕事をして金を稼いだ」かな。こんな普通のことが武器として通用するのは世間を知らない子供だけだから、子供を世間から遠ざけて自分がいないと生きられない世界に閉じ込めていく。

批判されたくないという心理から”一般的家庭”であることも目指すので、表向きには一般的、家に入ると独裁政治になる。

 

自分を褒め称える奴隷が逃げ出そうとする動きがあれば、毒世界に戻そうとしたり、足をひっぱって邪魔してきたりする。
(毒された子供は毒によって「外の世界は怖いものだ」と洗脳されているのでなかなか逃げ出せないばかりか圧力をかけるとすんなり戻ってしまう)

(逃げ出す手段も先に封鎖されてる場合が多い)

 

 

毒親がフィーバーしてる時はとても気前がいい。
誇れるものはだいたい金なので金を持ってる時だけ気前がいい感じ。
たぶん常時こうありたいんだろうなぁと思える姿。
「なんでも買ってやるぞwww」とか言ってくる。

でも、

・買ってやると私のお金(武器)が減る
・子供らが物を手に入れたら物しか見ない、私を見ない

なので、

・品物まで決まっていても「仕方ないでしょ(買ってやれないのは私のせいではないよ)」とキャンセルする

・貸与しているだけの私の所有物(「それは誰のおかげで入手できたと思ってるんだ」「買ってやったんだから大切にしろ」)

そして

・言うことを聞かなければ取り上げると脅す

 

毒世界だといくら子がバイトして稼いでも「おまえは私が産んだから、私が産んだお前が稼いだ金は私のもの」理論がとんでくるから、毒と一緒に生活していると実質自分の所有物なんて一切ない。金、物、友人、名声。

毒親から脱出するための現金とか友人とか逃げ先を毒に見つからないように作るのがとてつもなく大変)

(全部オープンにするクセがついてるから隠すってことが苦痛で仕方がなかった)

 

私の毒親は今ネガティブキャンペーン真っ最中らしい。

不幸自慢を振りまきながら、どこかで豪遊しているらしい。

「お金ないのー、支払い待ってー」と業者に言いながら、「今ねー、○○温泉なのー」と言う。

お金ない → 私は不幸だけど頑張ってる!
温泉なの → 優雅な私すごいでしょ!

温泉は不幸な自分を癒やすための「仕方ないでしょ」に含まれるらしい。温泉行く金があるなら業者に支払いしろよ。

 

矛盾があるのがデフォルトだからね、仕方ないね。

 

毒親がこういう生き物なのは仕方ないんだ。

ネコはこういう生き物だから。

カラスはこういう生き物だから。

毒親はこういう生き物だから。

ある程度までしか矯正できないし、

毒からすれば「奴隷が歯向かってくる!」としか思わないから

「いつか、説得すれば、年齢がいけば、おとなしくなって、優しくなる」

なんてことはない!

子にとって逃げられない”血縁であること”を脅し材料に使ってくるだけだけ。

(そして世間は血縁の情に弱いから、「親を捨てるなんて」「育ててくれた親じゃないか」「あなたは大切な子供なんだよ」だとか平気で言ってくるからね)

 

動けないんだと思って「動けない」のと、

動かない選択をして「動かない」のは、

他者から見て両方「動いてない」になるけど、

本人にとっては違うものだと思う。

表向きに従ったフリをしておいて、内心「毒理論乙www」思ってても、

毒親には「奴隷がおとなしく従った」としか見えないから、

フリをして脱出する方法をみつける精神的余裕を作る。

そして一気に逃げる力が溜める。

 

 

 

 

できれば落ちぶれる方向で脱出した方がいいと思ったりする。

正攻法(稼いで、お金を貯めて、家を出て行く)だと、毒は「私の子供が自立した!私の子供は優秀!優秀な子供の親だから私が優秀!」くらいにしか思わないんだよね。

親と会うと発狂してしまいます!くらいの勢いで病院や警察や国を味方につけて、周囲にも親が私にとって毒だということを証明してもらった方がいいんじゃないかな。

一般的に親として狂ってるということは説明してもむずかしい。あくまでも「私のとって毒」というアピールで。

世間は”親は敬うもの”という意識が強いので、周囲は「実家に帰ってるの?」「親とは連絡とってる?」とか平気で言ってくるから。

 

以前、「そんなに嫌なら出ていけ!」と言われたので次の日に不動産決めて引っ越し準備はじめたことがあったけど、「荷物運んでやるよ」とか言われてありがたいとおもって運んでもらっちゃったんだよね。

アパートにも「カレー作ったから」とか「スーパーで美味しそうだったから」とかしょっちゅう来た。

今思うと「キチガイ娘(妹)と発夫から自分だけ逃げやがって」という足をひっぱる行為だったんだなーと。

「私が出て行けと言ったことがきっかけで娘は自立した」くらいにしか思ってないよ。

 

数年後に甘い言葉で仕事やめて毒の支配下に戻ってしまったんだけど。

でも毒に気づいてたから性格の見直し作業をした。

生活は脛かじりニートっていう身分で甘えさせていただきました。

(私は慰謝料のつもりだと思って開き直ってる)

 

そして再び「出ていけ!」が来た。

(「神は私だぞ!私に逆らうから住むところも失うんだ!」ということを言いたいらしい)

私はこれから生活保護っていう卑怯な方法で脱出するんだけど、これすらも「私が突き放したから娘は生活保護を受けられた!」としか思わないんだろう。

数年後に「あの時は仕方がなかった」とか「私のおかげで」とか言い出して「だから私を支えろ」と言ってくるのは目に見えてる。

脱出する力なんか毒の制御下ではなかなか溜められないんだから、生活保護でも病院でも味方につけて脱出できるなら脱出してしまえって思う。

結婚して相手親と同居してしまうのも方法の1つかもしれない。

(石油王から結婚申し込まれないかなw)

生活保護は基本的に一時的なものだから、生活保護をやめて普通に稼ぐ生活に戻ることもできる。

ナマポなんて人に言えることではないと思う。

ごめんね、私は国のお世話になります。税金のお世話になります。

数年後に毒が来ても「私を捨てたじゃん!!!!」と言える材料を手に入れた。私の大好きな証拠。

世間も”生活保護=落ちぶれ”と思ってるので(保護受けてる方々ごめんなさい)、「そこまで追い込んだ毒親」だと思ってもらえそうな材料。(実際追い込んだので材料でもなんでもない!)

「あの時は仕方なかった」が出てきても「じゃあ、助けてもらえないのも仕方ないよね!」って言えるくらい強くなりたい。

 

家を借りる時の保証人とか、病院に重病でかかるときの連絡先とか、世間は血縁や身内を指定してくるのはどうしようもない。

私は緊急連絡先が知人でもOKな保証会社を使った(そのかわり保証料が高い)

次に大きなことで病院にかかったらどうしようかなって思うと身内が欲しくなってきた。

結婚は他人でも身内になれる手段だと思う。それだけのために結婚したいと思うようになった。死体引き取り役として。

 

 

 

毒から逃げるってことは

・神を裏切る行為

その罪悪感を背負いながら、

・自分の所持品を持てない、作れない

子供が、

・身内と血縁が大好きな世間

で自立すること。

 

すごいパワーが必要。

 

 

しばらく親を捨てたという罪悪感と戦うことになる。

でも違う、親を捨てたんじゃない。

親が私を捨てたんだ。

お菓子は食べてもいい!

「もう大人なんだからいつまでも親のせいにするな」

よく言われる。

でもね、親のせいなんだから仕方ない。別に「親のせいなんだから私がバカなのは仕方ない!仕方ないんだから大目に見ろ!」とは言ってないんだから、親のせいだと思うくらいは許して。実際、思わないとやってられない。

 

語り合うスレ77-89

「お菓子売り場で汗が出る。お菓子を食べる自分が恥ずかしい、お菓子を買う自分が他人から堕落した人間だと思われる気がする」

 

こういう妙なひっかかりが細かいところにあってありすぎてどこにいっても苦しい思いをする。

たぶんこの人は、「お前がお菓子を食べると、子どもにお菓子食べさせるダメ親だと俺(父親)が言われるんだ(食べるのをやめろとまでは言わない、俺がどう思われるか察しろ)」とか、「家でまともな食事(量)を与えていないんじゃないかって俺が思われるんだ」とか、「お菓子は堕落した人間の食べるものだ。俺の子どもがそんなことをするはずがない」とか言われたんだと予想。予想ね。

遠足でお菓子買う日とか辛かっただろうなこの人。買えたのかな。買えたとしても「お父さんごめんなさい!」って思いながら買ったんだろうな。周りの子どもはお菓子を楽しんでて「89ちゃん、なんでお菓子食べないの?」なんて言われたら辛いだろうな。父親呪縛にかかってたら「お菓子なんて堕落したもの食いやがって下等生物が」って思ったかもしれない。

 

子どもは「父親が悲しむことはしないようにしよう」から自分に制限をかけていって、親が居ない場面でも動けなくなっていく。

「別にお菓子は悪いものじゃないんだから、嫌がる親に見つからなければいいんだw」ってこの時代に思える子どもなら毒親から脱出できると思う。脱出したかった。

 

親が居ない場面、学校や友人と会うときなどで価値観の違いに晒される。

食べてるのがバレるのが怖い。怒られるからじゃない。親が悲しむのを見たくない。親の評価が(親の周囲から)下がるのが怖い。(親の評価が下がると私が生きられなくなるから)

(食品として)食べてもいいものだけど、(子として)食べてはいけないもの。

友人に「私、お菓子嫌いなんだ」と説明する。「親が」とは言えない。本人の中では、食べられないものと食べてはいけないものと嫌いなものに大差はないから。

友人は「そうかー、お菓子嫌いなんだねー」と受け取る。そりゃそうだ。

私=お菓子嫌い確立。

 

お菓子の話で妄想をつらつら書いたけど、こういう「普通ならたいしたことじゃない細かいこと」でいろいろ縛られてる。

 

知育菓子(ねるねるとか)は添加物添加物うるさかったな。(調べたらねるねるは逆に添加物に気を付けてるお菓子じゃん)

うちの親の場合だと「私が作るお菓子を食べなくなるから(私のお菓子を食べて私を誉めろ)」が強いので添加物を悪者にしただけだろうね。市販菓子は高いのでねだられると困る(「貧乏だと私が思われちゃうでしょ!買ってやれないひどい親だと私が思われちゃうでしょ!」だけどね)

カラフルなお菓子はたいてい添加物だらけだから、ねるねるの成分がわかっても子どもから「なんでねるねるはカラフルなのに大丈夫なの?」と聞かれたら困るのもわかる。

この「わかる」が曲者で、これを聞いた他人は「カラフル=添加物認識はわりと間違ってないからよくあること」くらいしか思わないこと。さらに「気遣ってくれた良い親」とまで言う。添加物云々が本当か嘘かが問題じゃない。普通は「添加物は良くないからお菓子は食べてはいけない」認識だけど、「親が添加物を嫌うからお菓子を食べない」という親基準になってるのが問題なんだ。

親はきっかけ程度でいい。判断は自分でしていきたい。

 

毒親意識から脱出するために気を付けてること。

・自分の価値観を作る

自分が判断して好きか嫌いか決めること。

今までの判断基準が「親の価値観」だったから自己判断は何事においてもすごく勇気がいる。小さいことからやってる。

上記のお菓子の例なら、

・お菓子は食品として食べても良いものか

・一般的に食べられているものかどうか

基準を親から一般的に移動する作業。とりあえず(とりあえず!)。

ここから

・自分で食べてみて好きかどうか

これではじめて「私はお菓子が好き(嫌い)」と言えると思うんだ。

まずやったのは親の常識は世界の常識かどうかを疑う作業かな。ぐーぐる先生にでもきけばいいと思う。

普通という認識が歪んでて自信がない、土台があやふやなところに自分を乗せてるからぐらぐらするのは当たり前。自信っていうのは根拠がなくてもいいんだと最近は思う。普通の親なら幼少の不安定な時期に支えてもらえたから自信あるんだろうな。うらやましい。

 

基準が個人にあるものはむずかしい。

たとえば「痛い」はどの程度で悲鳴をあげていいものだろうか?

「その程度の傷はツバつけておけば治る」「泣いてないから」「血が出ていないから」と言われて納得していなかっただろうか?

痛いものは痛いんじゃバカタレ!

小さいか大きいかなんて問題じゃないんだ、痛いものは痛いんじゃ!

親基準から一般基準に移動するのはとりあえずであって、そのあとは個人差も受け入れていくこと。

私は自律神経おかしいから体温計が高温を示してなくても寒気がする。体温計が示してないからって我慢しなくていい。寒いものは寒いんじゃ!

あと、傷みと快楽は紙一重だからね。SMなんかで叩かれてキモチイイっていうのもアリだし。ぎゅーって抱き締められて苦しいけどこの苦しさが幸せvみたいなのもアリ。痛いとか苦しいのが悪いこととは限らないってこと。逆に一般的にはキモチイイって言われてることがキモチワルイこともある。「私は(世間とは違うけど)キモチワルイ(/キモチイイ)」と思うのは大切。

 

眼耳鼻舌身意→色声香味触法

つまり五感+心。

「感じる」のは個人の自由でいいと思うんだよね。

 

「私は、どうなんだろう?」って常識になっちゃってる生活から見直す作業をしてる。

靴下のはきかた、風呂で体を洗う順番、食べもの、ドラマを見た感想、などなど。

 

思う(感じる)までは自由。

(これをどうやって表に出すか(相手に伝えるか)は人付き合いノウハウとかでぐぐればいいんじゃないかな)

「思うことはあるけど(周囲からの評価を気にして)言えない」から「思うことはあるけどあえて言わない」に意識をかえていくようにしてる。思うまでは自由なんだから、たとえば社会的にどうよ?っていうことを考えたとしても、引かれるから「言えない」という周囲を気遣ったよ意識じゃなくて、引かれて自分が嫌な思いをしたくないから「言わない」という自分の判断にする。

嘘をつくのが苦しいので嘘にならない程度の言葉を使うとかしてる。「考えてもいい(考えるとは言ってない)」とか便利だと思ってる。

 

親のせいにするなって言われるけどやっぱり親のせいだ。親のせいだって思うまでは自由だから。

自分の責任っていうなら、「これからは」をつけたい。

自分で感じて、自分で選んだものは自分の責任。これは理不尽に責任が降ってくる世界じゃないなら言える。

「親が嫌な顔するからお菓子は食べられなかったけど、私はお菓子を食べてもいいと思うし、私はお菓子はおいしいと思う」と言えるようになりたい。