毒親と子のお話。

脱出したくて考えてきたことと、脱出してから考えてること。

常にメリットを考えてる

最近また鬱憤が溜まってきたのでここに吐き出しておきたいとおもった。

けど、なんのことだったか今日はよく思い出せない。

昨夜「アドラーの「トラウマの否定」の部分だけは受け入れられない」という話がフレから出たのでちょっと書こうと思う。

 

※ちなみに著書を読んだわけでもないのでその辺の記事で知れる程度しかアドラーについて知りませんので間違ってると十分思われます。

 

 

いつか書こうと思ってて書いてないのが、

「行動はいつもメリットを考えている」ってこと。

トラウマの否定のことを書いている記事には「やらない(できない)言い訳」のことを書いていることが多い

yuk2.net

 

これとか。

「行きたくないという目的達成のために都合のいい材料を使っている」=言い訳。

 

私は「行動」はメリットがある方に行動すると思うんです。どちらかいい方を選ぶ。やりたい方に行く。

マンガに出てくるお父さんは「ハローワーク行く」と「アニメ見たい」を考えた時、

ハローワークに行きたくないからアニメ見てる」になってるんですが、

「アニメ見たい」方が(自分にとって)メリットあるからアニメ見てるだけだと思うんです。

楽しいことと辛いことがあったらたいていの人は「楽しいこと」を選ぶと思うんです。

辛いことと辛いことだったら、「少しでも辛くない方」を選ぶと思うんです。

メリットが無い、メリットが少ない方は選ばないと思うのです。

あえて辛い方を選択する奇妙な人も世の中には存在するかと思いますが、「辛いと思われる方を選んだ方が快感」だから、やっぱりメリット考えてると思うんですよね。

逃げではなく、選択して歩いてきた道だと。

(「目的論」を読んできたけどこれっぽいな・・・?)

 

フレが「トラウマの否定だけ気に入らない」のはフレも毒親持ちだからです。(たぶん私よりひどい)

私も最初トラウマの否定「自分が選んできた結果」ってのを読んだ時は

「選択肢のほとんどを親に潰されて動けない状態で何が「自分で選んだ結果」だ!」

と怒りました。

(実際そうですし)

 

今現在、生活の一つ一つを自分で選ぶということをしていて、「自分で選べるってめっちゃ幸せじゃん!」と思ったので、「自分で選んだ結果」でいいやになりました。

自業自得 ←(良いことも悪いことも)自分の業で自分が得(or損)をする。

(因果応報でもいいです)

今が自業自得なら、過去も自業自得でいいと思うんです。

 

・辛いことA
・辛いことB

どっちもつらいけど、少しでも辛くない方に行こうという選択を自分でしている。

 

・ハロワに行く

・ハロワに行かない ←強い

・アニメ見たい ←もっと強い

ハロワに行かない方が自分にとってメリットがある。だってアニメが見たいんだもの!

(行かない方が将来的にデメリットなんだけど!瞬間的にはアニメ見れるからメリット)

 

・学校に行く

・学校に行かない ←強い

(テストができなかったからは後付(後付、原因論

学校に行かない方が自分にとってメリットがある。(テストの点を知るのを先延ばしにできる)

 

・デート行く

・デート行かない ←強い

(犬が元気なくて心配は後付)

デートに行かない方が自分にとってメリットがある。(会いたくないのか金を使いたくないのか相手に興味がないのかわからないけど会わない方が良いと考えている)

 

School Days(※エロゲーです。念のため。)の選択肢は2つあるが実際は3つ。

・選択肢A

・選択肢B

・選択肢C(時間経過によりAもBも消えて「動かない(or沈黙)」という選択になる)

「AとBのどちらも選べなかった」のではなく「黙っていることを選択した」になる。

(黙っているのがメリットになるかどうかはゲームなので考えなくていいです)

 

妹からペンを貸してと言われて、

・自分の持ち物が妹に渡るのは嫌

・いいお姉ちゃんだと言われたい

・親に怒られるのは嫌  ←これ

だから渡してしまうんですわ・・・

 

 

幼少期に「わざと辛い方に行く」という選択はできないと思う。

少しでも辛くない方、幸せな方を選んでると思う。

選択肢が少ないながらもベストな選択をしてきたと思う。

この自分を褒めてやりたい。

良くしようと思ったんだもんね!

 

 

まあ、でも、現在が現在ですから、「自分で選んだ結果が現在かよ」と思うとキツイです。

そしてこれを親には絶対知られたくない。

「ほら私のせいじゃない。お前が自分で決めたことじゃないか」って言われるのがオチだ。むかつく。

 

だって

選択肢を少なくしたのも

辛い選択肢しかなかったのも

選ぶしかなかったのも

親のせいだもん!!!!

がんばって選んでもまたねじまげるのがうちの親だもん!!

 

 

 

あー、でも、

「過去になにかあったから」からつながる、

今の選択肢が少ない

っていうのは納得できる。

冒険ができない とか 慎重になりすぎる とか

 

 

幼少期返せ!!ってめっちゃ思うけど

どうあがいても返ってこないし、

(今から親に償われてもキモチワルイだけですし)

これからを考えた時に、

 

良いことも悪いことも自分の選択で決まる

 

のなら、いいんじゃないかなって。

 

 

 

 

 

 

でも親は許さないよ!!!!

許すわけがないよ!!!!

 

 

 

前向きに考えるスレの皆さん応援してます(こっそり)

ジャッジ

アニメより

 

数人共同生活している。

a「bにカップ麺食べられた」

b「aが買ってきたってしらない」

仲裁に入るc「カップ麺なんかで喧嘩しないで。私がお金あげるから二個でも三個でも買いなさい」

a「勝手に食べたのはbじゃないかー!」

 

 

私の場合、名前書いておいても食べられるんですけどね。

私が妹に…アイスもプリンもお土産品もいろいろ食べられて、親が介入してきて、「早く食べないお前が悪い」って私が怒られる。なんなの?

 

私がしてほしかったのは、

・妹を目の前で怒ってほしい

・名前かいてあったのに食べたことを怒ってほしい(親が「名前書いておかないのが悪い」と言ったことを私が守っているので、親に従ったのだから私は間違ってないので)

・妹からの謝罪

・妹からの同等以上の賠償(私の「今食べたかった気持ち」と不快代)

 

ただ品物が返ってくればいいって問題じゃない。二個でも三個でもって言われると品物と私を軽視されたように感じるし、なんでcが金出すんだよってなる。

 

逆に、記名のない妹のものを食べると私が怒られる。「妹のだってわかってるでしょう!!」

お、おまえ、

お土産きっちりわけて妹はその場で食って私は冷蔵庫入れて、間違いなく妹の権利ゼロ物件なのに妹は食うぞ!?

 

 

冷蔵庫入れるものは買わなくなったし、これでもかってくらい厳重梱包+記名しまくった(遠足前の冷凍ジュースとかね)

あと、親にも入れるとこ見せたりしたし。

 

世界は元々不公平だったんですよ。

この話をすると「いくつ離れてるの?」と聞かれるけど2つしか離れてない。7歳と5歳なら仕方ないかもしれないけど12歳と10歳でも仕方ないと言えるか?

 

 

 

親側の事情は、

妹はすぐ泣くので扱いづらかった。泣かせるとオヤジから怒られた。しかし泣かせない方法がわからないおかんは私を押さえつけた、と。

私が「親が悪い」って言えば「オヤジが!」って言うし。

そうじゃない

仕方なかった、じゃない。

おかんにいくら理由があっても、私にとっては「おかんが悪い」だ。

オヤジに屈した、オヤジの防波堤にならなかった、妹を甘やかした、おかんが悪い。

 

 

慰謝料って品物が返ってくればいいってもんじゃないなって…

 

あきらかに私が悪くない事案でも、責め立てるのにびくびくしてしまったり、泣き寝入りしてしまったり(言えば余計に被害出るから)、取られるように多く買ったり、なんでも私が悪いと思ったり。などなど。

不良品(返品するようなもの)引き当てた私が運無しって思ってたし。

 

先日書いたようにオヤジは「必死になるな」って言うし。

 

おとなしく喰われてろってことですか!

 

 

 

 

性質を形成するもの

鬼女板の「旦那が発達障害」スレを見ていると、そもそもうちのオヤジが発なんだろうなと思う。

このスレを読んだ限りだけど。

とにかく「お前が悪い」になる。オヤジが勝手に行動しても「普通××するもんだろ」だとか「察しないのが悪い」と言う。めっちゃ理不尽に。何か頼み事をしていたのなら「バカにお願いしたこっちがバカだった」と思えるんだけど、勝手に行動されてこの発言。


たとえば、私がショッピングセンターAに行っていることがわかった時、頼んでもいないのに勝手にショッピングセンターBに迎えにきて、帰宅した私に「いない!どこにいってた!」と騒ぎ立てる。まず、迎えに来てくれっていってない。帰りがつらいとも言ってない。雨も降ってない。大荷物になるとも言ってない。しかもA店に行ったんだけど?「いつもB店に行くだろ」と言うし。そうだけどさ。「どこ通って帰ってきた」A店→本屋数件ハシゴ→田舎道→自宅。学校からの帰宅ルートとは違う。「なんでいつもと同じ所通らないんだ!」と・・・、とにかく私が悪くなるポイントを探してくる。

やっかいなのは、きちんとかち合えば大変ありがたいことなんだよね。「迎えに来て」→迎えに来た、っていうのはありがたいよね。オヤジのやっていることは「好意」なんだよね。でもその好意を押し付けるだけ押し付けて、相手(私)のことなんか考えていない。オヤジのしたいことはなんなのさ?

オヤジの口からは「お前のためを思って」とか「暇だから迎えにいってやろうと思って」なんだけど、まったく私のことは思ってないよね!

 

繰り返すうちに、

 

好意でやってくれたことに対して→「ありがとう」と言えない私

 

っていうのが出来上がっててさ、

はぁ?私が悪いの!?

 

これを私が友達とかに愚痴るでしょう、

「頼んでもいないのにオヤジが勝手に迎えにきてさ、私と会えないことを怒ってきて、私が悪くなる」と

そうするとさ
「迎えにきてくれるなんていい親だよね」

とか

「うちなんか迎えにきてくれない」
とか

「娘を思ってのことだよ」

とか

 

やっぱり私が悪いんですか?

 

 

以前書いた、

家庭問題から友人関係にどうやって影響するのかというと、

「あんたが喜ぶと思ったから買ってきてやった。代金払って」だとか「あんたのために用意してやったのに喜ばないなんて最低」とか言われるんだ。

 

これをオヤジに愚痴ると、

「お前を思ってやってくれたんだからさぁ」が飛んでくるんだよね。

 

いろいろあって

(身バレしそうだから消した)

(自分で言い出したことをのらりくらり逃げる)


(結果的に)嘘をついたことになることも
「嘘をつくつもりはなかったが→約束を果たせなかった」という流れだと許してしまう私が出来上がっていて
嘘をつくことは悪いが、果たせないのは”仕方がない”っていうか・・・
オヤジは最初から?、少なくとも休日の朝には反故する気満々なんだよね。
汚いわー。


なんでこんな記事を書くに至ったかっていうと、
ネット上の交流で、好意(たぶん好意しかない)を向けられて、素直に喜べない私がいる。
少し前までは喜んでいた。
これもまた「親とは違うのだから」理論で。
それはもうものすごく喜んだ。
でも(割愛)数回続いて喜ぶのをやめた。
社交辞令だったんだなと思うことにした。
ここまでだったらオヤジのことは思い出さなかった。
私の返答がだんだん淡薄になってきたあたりで相手から「なんで素直に喜べないんですか?」と言われた時に、オヤジとリンクした。
”素直に喜べなくしたのはお前だろうが!”


どこの世界にいってもこういう人はいる。わかってる。

オヤジの理不尽に慣れて麻痺してたから、理不尽なことされても「好意」だと思うから大切にしたよ。
無駄だったね。
もっとはやくに気づけてたら間に挟まれて泣くことも、後ろから撃たれて泣くこともなかったね。

現在向けられている好意はたぶん好意なんだと思う。
あなたは悪くないのに素直に喜べなくて申し訳ないと思う。



 

 

 

これで発だと決めつけるのは材料が少ないかな?

スレを見ながら思い出すと、

・業者が来るっていうのに出かける
・「どこにあるかわからなかったから(オレは悪くない」
・「薬がなくなりそうだ」気にかけてほしいアピール
・「お前(おかん)がいってくれないから飲み忘れた」
・「どうしたんだ、何があったんだ」と言うだけ
・捜し物を頼むと1掘り当てるのに20片付けが必要になるくらいひっくり返す
・どうでもいいことで嘘をつく
・外面はめちゃくちゃ良い
・「俺の言うことを否定ばかりする」
・最終的に「俺が悪いんだろ!」
・「すぐ怒る」
・「俺も悪いけどお前も悪いところあるよな」
・真相を確かめられない自慢話をループして「でも今は手に入らないし」
・「そうやって責めてろ、俺だけ悪者にしてろ」
・オヤジしかいないのに「知らない」を繰り返す(じゃあ空き巣ですか?
・当日朝バックレ
・スルーされてるのを察すると余計なことをするか、媚びてくる
・「お前の教え方が悪い」
・「そんなこと言ってない」
きりがないな。
「お前が××するから(してない)」はもう口癖なんだろうな。
私は子だからそれほど被害はなかったけど。
おかんのおかしいところの半分くらいはオヤジのせいだと思うし。
こんなの相手にしてたら狂うよね。

私に間違ってたことを認めたがらない傾向があるから気をつけてる。これだけだと発っぽいけど認めると「そらみろ!お前が悪いんだ!お前がバカなんだ!」が降ってくるので認められないようになってるだけ。反省はすごくしてる。思ってても言葉に出さないと伝わらないよね。がんばる。


自分の性質の全部を親のせいにするわけではないんだ。
気づいたことは改めることができるのだし気づくだけでも大きいと思う。

発達と

発達あるあるを見ていて思ったこと。

発達と毒親は違うと思うけど完全に違うとは言い切れないかな。

大雑把に「発達」言ってるあたり理解してないです。

 

 

どの情報を読み取っていいかわからないんじゃないだろうか。

たとえば病院待ち合いのTVなんかでTVの音を大きく拾って周りの音は小さく拾う。TVの音にチャンネルを合わせている状態。相手にチャンネルを合わせればそれなりに集中できると思う。

自分の中での優先度があやふやでチャンネル合わせがうまくいってないのではないかと思った。優先度というか、重要度というか。

発達は片付けがうまく出来ないらしいけど(私もですが)これについて「好きがいっぱいだから捨てられない」と言った人がいるんだけど、好きとか大切の重要度もあやふやなのかと思う。好きと嫌い、白と黒みたいに極端であり、5%でも80%でも「有」になるから好きだらけになる。

私が物を捨てられなかった(捨てるのが辛かった)のは、私が決別したものを親が「まだ使えるじゃない」「もったいない」などと言ってくるので捨てられなくなった。また「まだ使えるものを捨てる私は悪い子だ」という思いもあった。もちろんまだ使えるものを捨てるは良くないと思うし、もったいない精神も大切だと思う。そして私はいらないものを大切に抱えるようになってしまい、大切に抱えている(捨てない)から「大切にしているのね」と言われ、ますます捨てられなくなった。

聞きたい話にチャンネルを合わせることができないまま、あれもこれも気にしなさい(気遣いなさい、気が利かない、気づかないわけないでしょう)と言われ、何が重要なのかわからない状態なんじゃないだろうか。

親から離れて、自分の「好き」を考えながら生活して、「好き」がわかってくると、雑音を拾いすぎてたなと思う。スーパーでの買い物で特売だからと買おうとしてしまったり、あれもこれもついでだからとやろうとしてしまったり。なんでも同時にこなせる人はすごいと思う。チャンネルの合わせかたがすごいんだきっと。

情報がありすぎる世の中から好きに選択できるんだから、まず自分の「好き」を知らないと選択もできやしない。

 

 

気づかないわけないでしょ

気づくべき

気が利かないね

知らないふりしないで

気づいたらやりなさい

見て見ぬふり?

 

全部にかまけていたらいつまでも自分の目的にはたどり着かない。

親は私の気を散らして価値観をあやふやにする天才だったんだな。

 

 

心療内科漫画に「選択をできる幸せ」の話があった。「必ず後悔する仕組み(選択しなかった方を後悔する)」という話もあった。

自分のやりたい方を選ぶためには、自分が何をしたいのか知る必要があって、その選択の結果必ず後悔するなら、それもまた幸せなんじゃないかと思う。選ばなかった方というか選びたかったけど選びきれなかった方なんだし。

 

外観を気にしすぎて外観しかない生き物に

なりたかったけどなれなかった生き物です。

 

 

あるあるで「数字を覚えるのが得意、書いてあることは覚えられる」というのもあったな。人の気持ち、親の言うこと、みたいなあやふやなものより書いてある事実を信じたいっていう表れなのかも。サービスより品物。ただより怖いものはない。

親の顔なんていう一番あやふやなものに怯えていたんだから、こうなるよなー。

 

見えないものも嫌い。

具合悪い時は熱も出てください!

 

 

禁止令と、成功スパイラル、親と、発達と、いろいろ絡んでる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

成功スパイラル→成功することで自信がついていくこと。良い方向も悪い方向も。

 

悪い方向

失敗した(事実)→また失敗するかも(予想)→やっぱり失敗した(予想が当たる)→やっぱり→やっぱり→やっぱり

予想は当たってるので自信がついていく。

予想を当てる為に動いたりもする。

「ほら、やっぱり」「思った通りだ」

 

宝くじにあたり続ける人って「やっぱり当たる」を蓄積してるんだと思うよ。オカルトですが。

良い嘘、悪い嘘

みんな嘘つきなんじゃないだろうか(またゼロか1かで考えてる)

 

「この中から好きなの選んでいいよ」

好きなの選ぶと文句言われるのはどうして?

ファミレスなら高いの選んじゃいけないし

クレヨンは地味色取らないと怒られるし

言う方の事情(言い訳)はいろいろあれど、言われる方までは考えてもらえない。なぜこちらが「空気読めない」と言われなきゃならないんだろうか。

 

好きなのを選んでいいというのは嘘なんだね?

 

「見栄っ張りなんだな。」

なんて理解してやる必要はなかった。こいつは私に対して嘘を言ったんだ。騙したんだ。

 

親が私に嘘を言うはずがないし

嘘はだめだと言われてきたし

もし嘘でも「良い嘘」か「仕方ない嘘」なんでしょ?

って思ってたから発言の矛盾があっても仕方ないと思ってたけど、

 

 

ないないない

嘘は嘘だ。

 

 

嘘をつかれたくない思いから、親しい人には嘘をつかれたくないと思って、友人の言うことは嘘は無いんだと(だって友達だから)、家庭から離れるとだんだんフィルターが薄くなるので注意。

家族が嘘つきなのには気づいてる。

 

どーせ、空気なんて読めない。

嘘を正当化しようとしてるだけって思うことにしてる。

 

 

子供の時に教わる善行

・嘘つかない(嘘つかれまくり)

・みんなのために(私のためには誰もやらない)

・ゆずりあい(私にはゆずってくれない)

・他人が嫌がる仕事をひきうけよう(そして他人は楽をする)

 

これは真面目に信じるバカが何人か作れればいいやっていう作戦だったのか、そうかー。

 

 

騙すのは、悪いことだよね?

 

 

どこを基準に

上を向いて、歩こう

 

上ってどっち?

 

今私は布団に転がりながらスマホでぽちぽち文字を打ってるんだけど、

天井(空)方向なのか、頭方向なのか。

 

前向きに!

 

前ってどっち?

 

 

私は場所を示すときに北方向を上だとして話すんだけど、たいていの地図が北極を上に描いてるからなんだよね。

カーナビとかだとノースアップ(地図の上が北に固定されている)とコースアップ(自分が向いている方向が上になるので地図がぐるぐる回る)が選べたりする。

 

言葉のイメージで

前向き→幸せ、明るい、向上心

後ろ向き→悲しい、暗い、後悔

こんな感じがする。

 

 

どんな方向でも私が前だと思ったら前だし。

 

たとえば、

嫌いなやつをコロスのはその人にとって前向きな行動なんだよね。嫌いなものを世界から排除して幸せを得ようとする行動だから。

(コロスのは「社会的にアウト」なのでダメですけど)

 

随分と言葉のイメージにとらわれている気がする。

前回書いた「ストレス」も。

ストレスって機械(物理)だと摩擦のことだし、電気だと抵抗かな? ストレスがあるから熱が発生する仕組みだったはず。昔は「精神的ストレス」って言ってたような気がするけど今は「ストレス」だけで精神系をイメージするようになってる。

他人が指す常識もこういったふわふわしたものが多い。変わってきた意味合い、本当の意味も知らないで使う人たち。こっちもふわっと知ってるだけだったり。

…他人とうまくやるのはむずかしい(泣)

 

Aを基準としてのB

一般を基準としての「私」

ここに「違い」があるかどうか。

前向きにとはどのような状態を基準として「前向き」なんだろうか。

 

毒親のことを愚痴ると「また後ろばかり見てる。もっと前向きなことを考えようよ」と言われるけど(先生にも言われたし)、根本から治すために掘ってるからこれは前向きな作業なの!

(暗い方向ばかり見ていると鬱になるから気を付けて)

 

私基準と思えるのは良いと思うんだ。

個人作ってから他人と擦り合わせる。

あくまでも私の考えですよという意味で「私はこう思います」とか「私は好きです」というように「私は」をつけて喋ると相手が「一般的」と「私」を分離して考えてくれるようになったので話がしやすくなった。

 

「いちごはすっぱいです」だと、「普通苺はすっぱいものです。甘いと思うあなたがおかしいです」みたいに聞こえてしまう。私には聞こえるんだ。これが「私はすっぱいと思います」になると「この子はすっぱいと感じるのかー」くらいに思ってくれる。不思議。

(この「すっぱい」も何かを基準としてて、味覚は人それぞれで他人と一致はできないから、「いちごはすっぱい」と覚えたのか、たまたま食べたいちごがすっぱかったのか…まで考えると、すっぱいがゲシュタルト崩壊してくる)

 

 

「Sサイズは小さいです」→「Sサイズは私には小さいです」

「28度では暑いです」→「28度では私は暑いです」

「この映画はつまらなかった」→「この映画は私にはつまらなかった」

 

なので私も「幸せになるために根本から直すべく毒親のことを考えて後ろ向きになりますが、私にとっては前向きです」というようにしてみた。(しかし言うところがない!)

 

 

 

 

 

 

英語で人数を数える時「私と、あなたと、あなた」になるんだけど日本は「あなたと、あなたと、私」になる。個人があって他人付き合うのと、他人優先的なのと、何かにてるきがする。日本人は他人優先傾向?

 

 

個人になる。

個人になる。

 

自分の問題点を探るうちに、「私が困るのは他人とのコミュニケーション」だと気づいてきた。

毒親世界での常識→私の常識→他人には通用しない→他人とうまくいかない

「問題は全て他人との間で起こる」んだよね。

「対人関係で問題」はアドラー心理学の最初にでてくる(wiki)

 

 

そう、私個人では困っていなかった。

毒親との家庭で私は困っていなかった。

私が外界に触れた時に困り始めた。

 

私がペンを2本買っても、私が「おねえちゃんだからね!私良いおねえちゃん!」と思っていたなら、なにも困ってなかったんだ。なんでお金の減りがはやいんだろうと思っても「良いおねえちゃんだから!」で吹き飛ばせるくらいには困ってなかった。

 

不定休の社会人は定休の友達と遊びたい時に困る。不定休だから困るんじゃなくて、定休の友達と休日を(どちらかが、もしくは両方が)合わせなきゃならないときに困る。

 

・他人と合わせようと思うとき

・他人から「お前、おかしいよ」と言われた時

・他人に対して嫉妬した時

 

もうひとつ、

 

・一般的な常識と自分がずれているとき

 

ああ、なるほどって思った。

 

 

 

問題がおきたとき、まず自分だけなら困るかどうかを考えること。

 

例えば、他人から「洗濯してないだろ、臭いぞ」と言われたとする。

「臭いぞ」は言われたら傷つくので(なんで傷つくかは今は考えない)、洗濯しなきゃって思う。でも自室で一人ならどんなに臭くても汚くても自分が平気なら大丈夫なんだよね。(買い物先や大家のことは今は考えない) 他人と会うときに他人が困るなら、他人と会うときだけ対処すれば解決。 もしも、相手が「臭いのが好き」と言ったら、むしろ、臭いまま会う…かもしれない。

洗濯するというのは他人の常識であって自分の常識ではない。ここにズレがある。このズレをなんとかしようとする時に困るわけだ。

相手側は「相手が臭い」のに困ったが、自分のせいではないので、相手(私)に対処を求めた。

相手も洗濯しない族だったら相手も困らないので問題はない。

(そしてこの二人が他の人に「あいつら臭い」と言われる…のはまた別の話)

 

この二人の間では困ってなかった。

毒親との生活ではそれほど困ってなかった。(うちは暴力系なかったので)

困り始めたのは幼稚園や学校行ってから。でも学校って個人の性格や(自分の)常識を出すところではないので、学校生活でというより、学校で出会った友達とプライベートな付き合いを始めた時かな。

(私おかしい?程度なのでまさか親がおかしいとまでは気づけなかった)

帰宅すればさほど困らない。

困った時が気づくチャンスってことだったんだな。

 

 

 

 

他人と違うのがそんなにおかしいことだろうか?

他人や常識と違うけど自分が困っていないならいいんじゃないのか?

むしろ自分はこれでいいと思うならいいんじゃないのか?

 

まず、「おかしい」という言葉に対して嫌な感じをもっていないだろうか。

(余談:「おかしい」を漢字にすると「可笑しい」になるし、「いとをかし」は「たいへん興味深い」になると習った。気休め。)

他人が「おかしい」と言うときは「一般的常識と違うからなんとかして。私はこのまま、貴方が変わるべき」という意味の命令なんだよね。じゃあ一般的常識ってなんだよ?っていうと、社会という集団生活をするために大半が心地よいと思われる擦り合わせをなんとなくふわっとおしつけられてるものなんだよ。

(ここで言う「常識」とは、「jk(常識的に考えて)」とか「常識でしょ」的に他人から押し付けられるテメェの常識であって、みんなが知っているべき(日常の常なる識)事柄ではないのです。モラル?マナー?ぴったりくる言葉があったら教えて下さい)

(最近jkは女子高生の略で使われることが多いかも)

(「常識をかざしてくる=多勢の意見としての圧力」くらいに思ってもいい)

 

おかしいことは個性だし。

円周率をなん桁も言えるのも、戦国時代を見てきたかのように語るのも、声優を聞き分けられるのも、おかしいことだし。

自分一人なら何もおかしいことはない。

 

しかし私たちは社会という他人と交流していかなければならない。

(洗濯しない族の二人もコンビニに行くだろうし)

そんな時は他人と会うときだけちょっと我慢すればいい。

「私は気に入らないけど我慢して仕方なくあなたに合わせてあげてるのよ」くらいの気持ちで。自分の根本(自分の個性や自室での生活)まで変える必要はない。(有か無かで考えるクセから自分の根本まで変えなきゃって気分になるのは気を付けて)

 

 

わたしはわたし、あなたはあなた。

私は個人、あなたも個人。

私とあなたが仲良くしたいなら、妥協点を作りましょうか。

 

 

 

毒親持ちの常識は、毒親という「歪んでいる」「毒の気分でころころ変わる」「明確ではない」常識だし、

自分がおかしいからなおさなきゃと思い込んでるし、

個性なんか持つ余裕がない(見つかり次第潰されていく)から「私は困ってないもん」という開き直りすらできないところにいるし、

それでも(毒親の)常識に合わせなきゃと思うことでさらにふらふらしていくし、

他人との常識にも合わせなきゃならないし、

もう、ぼろぼろ。

 

答えがない不安定な世界にずっと居て、答えを求めても得られないのが常になっちゃってて、常識や他人の言うことの答え合わせをできない。どこでズレているのかがわからないと擦り合わせも難しい。

ズレをズレだと認識するには自分の常識を持ってないとふらふらする。

ふらふらしまくり。

 

毒親持ちが「できない」っていうと「やらないだけだろ」ってよく言われるけど、どこに進んでも行き止まりしか見えないようになってて動けなくなってるんだよ。

あやふやで見えない尖った壁がすぐ側にあるんだ。

 

だからだろうね、助けてもらえそうな意見を聞いてしまって、あっちにふらふら、こっちにふらふら。

 

「ソラは他人の意見に振り回され過ぎ。もっと自分を持ちなさい」

 

私は、脱出したいと思える自我の核が生き残っていたことをうれしく思う。まあ、これで他人との違いに気づいて困りごと増えたんだけどさ(笑)「私」が殺されるよりはましかなって今は思うんだよね。

 

 毒魔法にかかったままの人はこのブログにたどり着いても他人事としか認識しないけど(困ってないから)、脱出したいって思ってる人は、毒親がおかしいって気づいてるんだから、「私」はまだ死んでないよ。

 

 

個人って壁つくっても土足でプライベート踏み荒らしていくのが毒親だからねー。

 

 まず意識だけでも個人になって自分の感覚を気にしていったらたぶん個性はみつかる。(なんだったらむりやり作ってもいい。思い込みは力になる。) そこから他人と仲良くする方法を考えていきたい。

自分の感覚を初心になって考えてみるっていう私の作戦は間違ってなかったのかも。

  

 

 

 

違うもの、とは、ストレス。

違いにストレスを感じる。

ストレスがない世界は心地よい。

でも、ストレスがないと世界は回らない。

だから、嫉妬も劣等感もあっていい。

適度な刺激は大切ってこと。

 

 

違いがあるから楽しいんだし。

 

 

 

痛いと気持ちいいは紙一重。

 

 

 

 

「擦り合わせ」って、角を削って二つが快適になること。

 

 

 

 

 

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