毒親と子のお話。

脱出したくて考えてきたことのまとめ。

責任の所存

よく言われるのが「成人したんだからいいかげんに親のせいにするのやめなよ」です。

「だから仕方ないの!大目に見て!」って言うわけじゃないので親のせいにさせておいてください。

 

因果応報っていう言葉は「因」も「果」も「応報」ってことだから、

「良いことも悪いことも自分に返ってくる」

こういう意味での「自分の責任」は理解できる。

でもね、

毒の「子の「因(悪いこと)」は子のせい、子の「果(良いこと)」は私のおかげ」

っていうのはまったく因果応報になってないわけ。

 

それどころか理不尽に責任がスライドされてくる状況

・なんで教えてくれなかった!(何をしてるかなんて知らないから教えようがないわ!)

・なんで察してくれなかった!(ry

・私が苦労しているのはお前のせいだ(!?

 

「自己責任」という言葉は因果応報な世界で使われてほしいと思う。

 

子にはどうしようもないことがあるんだ。

・毒から生まれてしまったこと

・毒に育てられてしまったこと

・毒に対抗してかばってくれる身内がいなかったこと

これすらも「自分の責任でしょ」と言ってくる人がいる。

何が「子供はね、ふさわしい親を選んで、生まれてくるの。」だ。夢見てんじゃねーぞ。選べるならマトモな普通の人間を選んでるよ。

 

・考え方の基礎を作ったのは親

・私という子供を作ったのは両親

これは「親のせい」だと言っていい。ただし言えるのはその子供だけ。

 

「いや、そうかもしれないけど、成人したら違うでしょ」

これもよく言われた。

早い段階で気づけたら普通のレールに乗るように(学校→就活→一人暮らし)物理的な脱出はできたんじゃないか?と思うこともある。

気付けるようなら成人してから苦労してない。(と思う)

毒が毒だと気づくタイミングは社会と触れたときで、小学校中学校程度では毒が「うちはうち、よそはよそ」で片付けてしまう。「あそこの家は特殊だから」って言うけど特殊なのはウチの方だ。

次のタイミングは高校大学だけど、ここで気づければまだいいと思う。ここで気づけ無い子は幼少期に洗脳されてる。

社会はマニュアルなんてない。実際マニュアルなんてない。常識という見えないルールで右往左往させられて病む。

ここでやっと気付けるくらい。

気づく頃には基盤から現状からボロボロってこと。

これでも「成人したら親のせいにできないでしょ」と言えるだろうか。

でも世間は言う。

私が不器用なのも要領悪いのも同僚とうまくコミュニケーションとれないのも、私のせい。

 

会社や同僚は私とやり取りしているのであって、私の毒親なんて知ったことではないから。

 

「親が悪いんだったらアンタの責任は親がとってくれるんですかぁ?とってくれないでしょう?w」ってこと。

どうしようもない現実。

 

それでも私は「親のせい」だと言いたい。

じゃないとやってられない。

「だから仕方ないの、大目に見て」って言ってるんじゃないんだ。

親に「だから責任とれよ、謝罪しろよ」と言うわけじゃないんだ。

(超言いたいけど)

自分の性格を受け入れてここから自分と向き合うために「親のせい」だと言うんだ。

 

言うのはこっそりとこういうブログだけね。

世間は血縁大好きだから「親をそんなふうに言うなんて」とか「それでも親なんだから」とか言うから。

 

会社や友人は私しか見ないんだから

私の親を見るのは結婚相手くらいだ(今のところ予定も相手も居ないがw)

 

私が選んで、私が決める。

因果応報な世界で自己責任したい。

行きたいところに行けるし、なりたいものになれる。

努力は少なからず因果応報なものだと思いたい。