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毒親と子のお話。

脱出したくて考えてきたことのまとめ。

よりも、

比べる癖がついてる。

比べられてきたからだと思う。

よくわからないところと。

「アフ○カの人は食べたくても食べられないんだからね!あんたは恵まれてるの!残さず食べなさい!」

味や盛り付け量という親のやったこと(自分の責任にされること)から眼を背けさせる作戦。そして私が事実を確認できない外国のことを持ち出す。「恵まれてる」というのは、「私のすばらしい料理が食べられて幸せでしょう!」という意味であって、我が国がアフ○カより恵まれてる(?)という意味ではない。

私は「アフ○カって大変なんだな」「私は恵まれてるんだ」と思った。

あまりにも言われるから、食べられない子供が可哀想で「アフ○カに持っていってあげて」と言ったら「そんなの関係ないから食べなさい!」だって。関係ないのかよ!

幸い、うちの親の料理はマトモだった。しかし量が多い。「足りない」文句防止と、自分が食べるために多く作ってたぽい?

(自分が食べられずとも旦那や子供に食べさせるものと思い込んでいたフシはある。それとも何事も多ければ良い理論?)

まずいものはまずい、多いものは多い。我慢してまで食べるのは恵まれてることなのか?

 

比べられると「あんたは恵まれてるんだから文句言うんじゃない」に聞こえる。と気づいたのは大きくなってからだけど。

親が「うちの子は○○より○○(だから、大丈夫)」って自分に言い聞かせてたみたい。子を心配してるんじゃなくて、自分の所持品の心配してるだけ。

子を見れば親が知れるとか、親の顔が見たいとかをものすごく恐れてたみたい。

 

比べるものは場面によってころころ変わる。子を言いくるめられればいいだけだから適当なことを言う。

風邪をひく→「バカは風邪ひかないからお前はバカじゃない」

隣が学級閉鎖→「お前はバカだから風邪ひかない」

どっちだよ?

矛盾を感じても「私を安心させるために言ったんだな」と納得していたお花畑のお子様だった。

 

親が何かと比べるときは「親が不安な時」なんだなと今は思う。

(ここに子どもは出てこない←ポイント)

 

 

 

そして私は、親が関係ない場面で混乱した。

・判断が親基準

言われたことを覚えていてそのまま言う。

しかもそれが一般的だと思ってるから自信たっぷりに言う。

ダブルスタンダードに気づかない。

→周囲から「妙な正義感あるけど言うことが矛盾しまくり」と思われる

(離れていった人達をクズだと思っていたけど、矛盾バカから離れただけなんだよね)

・相手から説得されやすい

もっともらしい理由がついたら納得してしまう。

「アフ○カ」は貧しいでしょ?→うん→私たちは恵まれてるよね→うん→だから幸せなんだよ→うん

という段階的な話にはかなり弱い。

(絵画買わされそうになったことがある)

・相手と比べようとする

周囲の全員をライバルとして敵視。ものすごく疲れる。嫉妬に溢れていた。

 

 

 

今日は書くことにまとまりがないな。

あと、アフ○カのみなさんごめんなさい。

 

 

 

親も親で大変なんだろうけど。

私にとっては見上げる対象が親しか居ないのだから。

一貫性ってとても大事。

子どもだからわからないと思って適当なこと言わないで。子どもだからと思って言ってたことならば後から言葉を付け足してほしかった。

(包丁は危険→包丁は「まだ子どもだから」危険)

 

 

今日は、

比べられるのが当たり前だった子どもは、比べるのが当たり前になってるんじゃないか?

という話を書きたかったんだ。

 

嫉妬は時として原動力になりうるが、嫉妬しまくりじゃ疲れる。