毒親と子のお話。

脱出したくて考えてきたことと、脱出してから考えてること。

狂わされた価値観

友達からのメールで困ることがある。

ラインやチャットツールでも同様。

 

「聞いてほしいことがあるのだけど」

友達からメールがくる。しかし私はメールは見たけどメールをやりとり(チャット状態)はできない状況にある。もしくは気分ではないとか。

「今は忙しいからあとで連絡する」と返信して携帯を鞄にいれる。直後、メール受信。

 

上記のような状況に私は頻繁になってしまう。ラインの「既読(メッセージ見ましたということ)」もそうなんだけど、私が返信したことで友達は「私の話を聞いてくれるんだね!」モードになるみたいで。

(※友達のことを問題視する話ではないのでここはスルーで)

私が正直に「今は無理」と伝えても駄目なので今度は無理じゃなくなるまでメールやラインを見ないようにした。これで友達からの即追撃は阻止できるようなった。

 

普通の人は、「構えるときにしか構わない」ができている。断るし、既読つけちゃったとしても構えるときまで放置する。

これでいいはずなんだ。

 

私がこの状況を問題視する理由は、私が随所で心苦しさを感じているから。

まず、メールを受信した時に「私に!」という気持ちが働く。次に「私を頼ってくれている!」が来る。しかし私は今かまえない状況にある。「せっかく私を頼ってくれたのにごめんなさい!」になる。そして理由を返信した後の追撃には「ごめんなさいごめんなさい!」と同時に「かまえないって言ったじゃん!!」とも思っている。

 

最後のやつは私が即返信しなければ追撃されないので解決。

 

「せっかく」って何だ?

そりゃあ相談先として私を選んでくれたのはうれしいけど。

 

 

以前はここまでしか悩めなかった。

 

 

 

毒親の言う「せっかく私がお前のことを思って買ってきてあげたのに!!」がまったく私のことを思ってなかった件

(こういうタイトルのラノベありそうだな…)

を冷静に考えられたので、「せっかくってなんだよwww」と笑い話にしていた時に気づいた。

毒からの「せっかく」「お前を思って」はうんざり。これはわかる。

しかしこれが友達からだと、「友達は悪意をもってなくて、純粋に私を友達だとおもってくれている」になって、「せっかく友達が頼ってくれているのに、私は!」になるらしい。

友達はそんなことしない、とか

友達は毒親とは違う、とか

他人に対しては判断が甘くなってた。

先に高額を提示されるとそこが基準になってしまうトーク術みたいな。

 

毒から「せっかく」を押し付けられて麻痺した。相手(親、友達)からの頼みを断ることに罪悪感があった。いつも自分が悪いと思ってた。

せっかく、私なんかを、頼ってくれているのに!

 

親や家族は毒だと認識できたので「せっかく」にもひっかからなくなったけど、友達にはひっかかる(ひっかかるという表現は良くないが)

 

大切なのは、

自分の都合でいい。

かまえるときにかまうでいい。

できることだけでいい。

やりたいと思うことだけでいい。

 

妙な罪悪感が薄くなったかもしれないって話!

 

 

問題なのはいつも、友達や他人とうまくコミュニケーションとれないこと。

コミュニケーション手段を知らないし下手なのもあるけど、妙に歪んだ基準が邪魔をしている。

 

 

友達と話していると「まず、なんでそう思うんですか?」「どういう考えでそれを言ってるんですか?」とよく言われる。説明をしていくと(友達は私の話を時間をかけて聞いてくれる。毎度感謝ばかりです) 私の常識(基準やセオリー)がズレてることを思い知らされる。

「いいですか、まず、普通は○○だと思いません」

「だいたいの人は大丈夫です」

「ソラさんは見えない心配をしすぎです」

この友達の「普通」も「一般」とはズレてるかもしれないけど、少なくとも私よりはマシ。絶対マシ。私がショートカット化して見えなくなっている途中式を解いて最初から計算式を構築してくれる。ここでやっと私がいかにズレているかを自覚できる。

 

「せっかく」

私をかまってくれる友達はありがたいと思う。でも罪悪感はそんなにいらない。